インド、ロックダウンから1年、今までとこれから何が出来るのか?
インドのロックダウンが始まったのが丁度1年前の3月22日
それからこの1年間は毎日が必死で、毎日、毎日、今、出来る事をやる。
何とかお店を開け続け、お店と従業員を維持して行く事が精一杯だった。
これからは、先の事を考えて、
これからどうして行くのか?
自分に何ができるのか?を考えて行動して行きたい。
では、今までこの7年間、何をしてきたのだろうか?
パンの製造をインド人製造スタッフに教えて一緒に日本のパンを作ってきた。
教える事よりも教えたことを忠実に継続させる事の方が1万倍大変だという事を実感する。
めげずに自分が率先して作って教えながら最初の4年間は終わった。
その代わり自分の気持ちを理解して一緒に4年間頑張ってくれたスタッフが4人残って、
その子たちは今でも製造スタッフの要として頑張ってくれている。
5年目からはお店で販売に専念。
今までの経験から、いくら美味しい物を作っても並べても、並べているだけでは売れない。
有名店で美味しいパンやお菓子を作ってきたシェフ達が美味しいパンやお菓子を作れるからとお店を出店して失敗してきた。そんな人たちをたくさん見てきた。
お客様がわざわざ足を運んでくださる。その為にはどうしたら良いのか?
自分だったらどんな物があったら嬉しいのか?喜んで頂くためにはどうしたら良いのだろうか?
そう思って試行錯誤しているうちに7年目に入りロックダウンになった。
その後、みんなが自由にお買い物に出れないのであればオンラインショップをオープンしようとオンラインショップを始めた。
日本人のお客様にはある程度認知して頂いて認めてもらえるようにはなった。
ただ、インドでパンを作っているのにインド人に認めてもらえていないのが心残り。
そう思ってオンラインのインド人向けバーガーショップを始めた。
さあ、これから・・
自分はインドで何ができるだろう。
インドに何を残せるのだろう。
自分が尊敬出来てこんな人になりたいと思えるのは台湾で烏山頭ダムを作り嘉南平野を大穀倉地帯に変えたと共にその時の態度、対応などから台湾の方々へ「日本精神」と言う言葉を残した八田與一さんだ。
日本精神を持った人だという事は台湾では最大級の誉め言葉らしい。
律儀で勤勉で、やり遂げる熱意、情熱、真面目さ、他人への優しさなどすべて持った人との意味が込められた言葉だそうです。
そんな日本精神を持っていたからこそそんな大きな事業を成し遂げ、いまだに語り継がれ小学校の教科書にまで載るような人になったんだろう。
知識や技術だけでなくそんな精神を伝え、残せる人になりたい。
最近、日本の中でも日本精神を持った人なんて言える人はどれだけいるのだろうか?
そんな中、鬼滅の刃の中に大正時代の時代背景と共に日本精神を持った登場人物が台湾の人々、日本人の心を動かしているのではないだろうか?
自分もそんな立派な言葉には程遠い人かもしれない。
ただ、やり遂げる熱意や情熱、スタッフへの思いやりを持っていたいと思う。
賛同して同じ気持ちを持ってくれる仲間が居ないと大きなことは成せないだろう。
伝えるべきは技術や知識だけでは無く、精神や気持ち、想いや心も伝えなくては継続されないと感じる。
日本の武道でも心・技・体と心が一番最初に来る。
これから、歳をとっても心だけは老いない。
決して諦めない。
そんな自分自身の気持ちをしっかりと持つことだと思った。